汝の名は汝

銃を捨てろ!俺はパリピだ!

2017/2/7 セクシュアル考

5日も6日もバイト。

そして今日も。

 

最近身に起きていることか、自分のセクシュアリティーについて掘り下げて考える時間が増えた。

私は、男みたいな発想だね、と人に言われたり、男みたいな視点かも、と自分で思うことがよくある。

あるんだけども、いるじゃん、私男っぽいですアピールが強い女性。

そういうんじゃないんだよね。アピールとかいうんじゃない。男っぽさ先行じゃなくて、自分の要素先行であとあと、あれは…と思い出す感じ。

 

ずっとモヤモヤしてた。私って何者なんだ?って。精神が男だとしても、髪を短くして男みたいな格好をしたいという欲はない。外見と精神に整合性がないじゃないかという、自分に対する懐疑心がずっとあった。

 

もうほんっと、これは強く主張したいんだけど、「性」にまつわることはどちらか、どれか、という単一の事象が点々とあるわけじゃなくて、線で繋がるグラデーションなんだ。

 

私の場合なら、

”見た目も男になりたいわけじゃないなら→性同一性障害ではない”

ではなくて、性同一性障害の度合いをグラデーションにしたときにここらへんの位置にいるなぁっていうイメージ。

性同一性障害」という言葉は使えないかもしれないけど、名前を与えてくれなかったのは社会なんだ。性に関する症例や傾向に名前つけなさすぎ。言葉が存在するという便利さを痛感する。

 

私はものすごく大まかにいえば、性同一性障害なんだと思う。

まぁジェンダー二元論と、生物学的性を前提にするならね。

 

生物学的には男と女しかないけど(?)、ジェンダーはグラデーション。

 

すごく小さな差でしかないんだろう。

男になりたいのか、男になりたくはないのか、という部分は。

 

また別の項の話にはなってしまうけど、私が勝手に提唱している「男性は生まれながらにゼロ性説」とも絡んでくる。

私も身体は有値になっちゃったけど、精神はゼロ性なのでは。有値を中和するために、男性性(逆ベクトルへの有値)を纏って、バランスを保つのではないだろうか。よくメディアで見る性同一性障害のひととかさ。

 

文字にするとうだうだ複雑だから、図解できるようになりたい。

 

 

※2/8追記

これは、トランスジェンダーっていうのか!?