汝の名は汝

銃を捨てろ!俺はパリピだ!

2017/7/5 『ハクソーリッジ』感想

カテキョが終わった後に映画館へ向かい、レイトショーで念願の『ハクソーリッジ』を見てきた。

 

戦争映画は劇場で見るべし!という安易な発想だったけど、劇場で見て本当に良かった。劇場で見るんじゃなかった…という気持ちが少しよぎるくらいだから、相当良かった。(迫力という意味で)

時代考証の詳しいところは全然わからないから、そういった指摘や懐疑はできない。とりあえず主観メモ。

 

・戦争は生活の延長線上に

作中で「平時は息子が父親の死を弔い、戦時はその逆で父親が息子の死を弔う」といったようなフレーズが出てきたが、戦時というと平時の対義語になるし、歴史を勉強していても戦争そのものは日常とは異なる「事件」として扱われている印象が強い。大まかに見れば前半と後半ではまるで世界が違うけど、あくまで両者は連続した同一の世界線上にある。そして兵士は兵士という生き物ではなくあくまで人間だということを強く実感した。

ただ日本兵に関しては日本兵という生き物にしか見えなかった。日米軍の決定的な違いは「死のうとしてる人たち」なのか「生きようとしてる人たち」なのかという部分だと思った。アメリカの軍事力をもってしても、日本兵の「死んでもいい」「死こそ名誉」といった姿勢は恐ろしく感じられただろう。私も見ていて日本兵怖〜ってなった。日本の対米大戦作品にばかり触れてきたから、任務として戦闘を遂行するアメリカ兵と、戦闘そのものをゴールとして掲げる日本兵との温度差や意識差をまざまざと見せつけられた点が新鮮でとても良かった。なんだかんだいってあの時代の大日本帝国はやっぱり異常。文明開化した後とは思えない…というか、文明開化関係なくあれは伝統のなかの現象ではなく、たぶん日本史上で見ても異分子。

  

 

・初めての体験とグローバリゼーション

アメリカ人の物語を見せつけられるわけだから、自然と戦闘シーンではアメリカ兵側に感情移入する。とくに敵(日本兵)と対峙する部分はめちゃくちゃドキドキした…ドスの悪夢のシーンとかビックリしすぎて震えてしまった。

そのせいか、日本語話者が登場したとき、うわ日本語気持ち悪い!と感じた。帰るときの電車でも聞こえてくる日本語が気持ち悪くて、やたらまわりを警戒してしまったくらい。逆にドスが日本兵の手当てをするシーンでは英語が気持ち悪く感じた。さすがに感情移入しすぎだけど、切迫した状況で馴染みのない言語が耳に入ってきたらパニックになるし、いくら親切にされても警戒は解けないよな〜と思った。

もしも私がドスに手当てされる日本兵だったら、こいつは油断させるために優しい口調で話していて、死ぬ薬を打っているんじゃないか?と考えるだろう。

 

しかし今レベルで英語が普及してたらどうなんだろう。やっぱ学校で勉強するくらいじゃ変わらないのかなぁ。私はもともと世界の画一化を否定的に捉えていたけど、最低限の感情や意図が伝わる共通手段を人間が持てたとしたら、それは間接的に平和をもたらすだろうか?

だいぶ余談ではあるが、大学の授業で「テクノロジーは言語にどういった影響を与えうるか?(良い悪い?中立?)」というテーマの議論をやらされた。John McwhoterのTEDの内容(テキスティング)も踏まえて…みたいな。ある特定の語に多くの意味が回収されてしまうのは語彙の豊かさを崩すかもしれないけど、簡単な伝達はあらゆるバリアーに対して優しいという可能性もある、といったことを主張した。授業内での例は、やばい、マジ、lolなど。例えば緊急事態のときに、異言語話者間で最低限の情報をやり取りするために(I'm Ok or notくらいの)簡易的な言葉はあっても良いのかもしれない…。

 

 

沖縄の風景の中をアメリカ兵が歩いたり、沖縄の古民家にアメリカ兵が居座ったりする場面でとくに思ったけど、文化の隔たりが凄まじい!アメリカ人からしたら鳥居も民家もなんじゃこりゃなわけで、観光ならまだしも戦争時に初見の文化と相対するの超ゾッとするだろうな。仕組みが全然見えないもん。ハイコンテクスト大国怖い…(そこじゃない)

 

 

・戦争へのマクロ視点/ミクロ視点

沖縄の本土決戦はとにかく悲劇として教育を受けてきて、もはや感動ポルノ化してる側面もある。そして米兵の惨さが強調されがちだけど、冷静に、客観的に見てみれば、米兵ばかりが悪者にされるのもどうよ、というのを改めて感じた。米兵に見つかると少女だろうが火炎放射されるなんてひどいなーと思っていたけど、当時の沖縄は今でいうところのモスルみたいなもので、民間人も手榴弾などの武器を持っていたから、油断すると殺されるかもしれなかった。生きようという意思があるアメリカ兵からしたら、ちょっとでも危なければ殺すしかないよな…。これは別に「寝返り」なんかじゃなくて、単純に歴史を見るときには感情論から離れなきゃいけないんだという自戒の念。

ただ感動ポルノ化を全面否定する必要もないと思っている。やはり抑止力として感情に訴えかけることは有効だと思うから。歴史的事実を客観的にみることはマクロ的視点であって、戦争を理論から突き詰めることができる。ミクロレベルで戦争を見れば、いかに肯定し難い事象なのかということを心で受け止められる。命って人類どころか生物普遍のもので、やはりそれが軽率に扱われるっていうのは…誰にとってもマイナスなんじゃないか…。

 

私が政治関連の文脈で主張しがちなのが、'戦争は決して特殊事態ではない'という考えで、戦争を遠い存在として捉えられることは平和だからこそなんだけど、でも完全無欠の平和とか、絶対に戦争が起こり得ない世界が出来上がらない限りは、戦争への恐怖、嫌悪、軽蔑は人類の心にあり続けるべきだと思う。

 

・主人公が武器を持たないのはなぜか

ドスが「君が武器を持たない根拠は本当に信仰なのか?」と上司に問われる場面があった。そしてドスは、父親を撃ちかけてしまった過去を回想する。この場面以降も、ドスはあくまで宗教上の理由で銃を持たないという建前のまま話が進んでいったけど、結局「本当に信仰なのか?」という問いの答えは出てこない…。つまり、実は信仰じゃないってこと?解釈が分からなかった。ドスは銃を持たないのではなく持てないだけで、宗教じゃなくてトラウマが原因なのでは?と思えてしまう。そこらへんの仄めかしは一体なんだったんだろう。

 

・アメリカの映画と宗教、宗教と戦争

信仰とか宗教に関してセリフの中ではっきり言及されているため、キリスト教が作品の要素として大きいわりに、宗教色が強くなかった。…ような気がする。思想(発言)や習慣が暗に取り込まれていたら、キリスト教をわからない人間からすると違和感だらけだったかもしれない。ただやはりそのナチュラルさでいったら、さすがアメリカー!という感じ。そのコンテクスト、私は持ってないなぁと。

 

背景がまったく異なるので、安易な比較はでしないが、わりと米軍はダブスタに寛容のように見えた。(キリスト教としては殺人NGだけど、戦争は殺人とは解釈しない、みたいな)

日本軍でドスみたいな振る舞いは粛清対象…かな…?
ドスの場合幹部が理解を示したけど、日本軍だったら仲間の一部が理解を示すものの幹部からひどい扱いを受けるという構図になるだろうなと思った。(陛下は理解してくれたりしてw)
日本兵は名もなき役柄だったな 

 

宗教に関しても日本視点の映画にはなかなか見られない。当たり前に信仰のある国とそうでない国の、前提としてある意識の違いがわかって興味深かった。WWⅡ時代の日本は軍隊による社会主義ともいわれるから、信仰どころではないのか…うむむ…

 

あ〜〜もう一回見たいなぁ。

下書きに保存し続けてたら2週間以上経ってしまったので、とりあえず出す!